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なぜ石工の里?

 「・・小泊(旧西三川村の内)の岡崎権三郎家には、佐渡石工起源伝説がある。「我家の祖先は平氏にして、重盛の子宗清が平家没落の後、三河国岡崎に隠れ・・・其の子権三郎は、佐渡に渡り、小泊の海岸より登りたる下河内に居所を定め、其の後現在の屋敷に引移り石細工に妙を得たり。・・・」(西三川村誌)

 「小泊の石工は慶長年には確実に興っている。それは佐渡奉行大久保石見守長安の相川陣屋造営に関する慶長年文書にみえる。」

 「・・・小泊と椿尾は、『佐渡四民風俗』(上)に「一、小泊村、椿尾村は耕作の外石臼、石仏の類を多く切り出して渡世の便に仕り候」とあり、『佐渡志』(巻之四)にも「小泊椿尾両村の石工は国用の余り近国に及ひ殊に石仏を作ること巧にして北陸七州と羽州の海兵村里迄も彼像至らさる所なし」と書かれるほどとなり、小泊、椿尾の両村は佐渡を代表する石工の村であった。」

 『日本の石仏』第104号抜粋 平成十四.十二.二十五発行 「佐渡島の石工在銘資料ー江戸時代ー 計良勝範」]より引用させていただきました。

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