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しょうづかのばば

もうちょっと「しょうづかばあ」

しょうづかのばば(2)

佐渡のしょうづかばばの話(リンク)

 昔、悪いことをする子どもに対して「**したら、しょづかばあがくるぞ」と子どもをたしなめることがあった「しょうづかばあ」。この呼び名は「しゅづかばぁ」「しょうづかのおばば」などが、このあたりの言い方のようですが、近年は、ほどんど聞きません。また、年配の方でも以外に知らない人も多いのが現状です。

 この”しょうづかばあ”22年秋の一般初公開で、その存在感が圧倒的に強かったことから、「あの石像の名前は?」「どういった漢字で書くのか?」「どんな意味があるのか?」「もう一度、見てみたい?」などの声に答えて、ネットなどでひろい集めた「しょうづかばあ」の正体・実態を紹介してみます。

 いろいろ調べてみると、仏教的思想(考え方)だが、その時代時代で色々な思想も混ざっており、どれが正しいものというものが、無いような気がします。例えば、三途の川を渡るのに橋があるというものもあるし、しょうづかばぁが登場するのが地獄の最初でなく中盤だったり、実に様々のようで、死んでみないと分からない感じがします。あくまでも通説・俗説の範囲での情報のひろい集めです。(当然ですが、学問的に正しいか?仏教的に正しいのか?・・・などについては、まったく責任が持てませんのでご容赦願います。)

文化5年(1808年)、石工伝七の「しょうづかばあ」

syouduka

しょうづかばぁの正式名称・職業は?ー亡者の善悪を計るために、亡者の衣服を剥ぐ&地獄の受付ー

 地獄の三途川(葬頭河)に居て亡者の衣服を剥ぎ取る老婆のことで奪衣婆(だつえば)脱衣婆、葬頭河婆、正塚婆、正途河婆(しょうづかのばば)と呼ばれている一般的には「奪衣婆(だつえば)」の言い方の方が多いようである。また、「奪衣婆」と書いて「しょうづかばぁ」と呼んだりもするようである。要は、死んだ後の亡者の衣服を剥ぎ取るとのが職業で、地獄の裁判(閻魔さま)の第一の裁判的要素を職務としている。亡者の衣類を剥ぎ取るという仕事は、いろんな説でも、違いがないようです。地獄でのしょうづかばばの登場が地獄の後段説(死後27日以降登場、この場合は、三途の川にいない)もありますが、最初に登場する説(思想)が多いこともありこれを採用しました。

しょうづかばぁの所在地、勤務地は?ー三途の川の向こう岸ー

 人は死んだ後、まず三途の川を渡るが、その川の向こう側に待ち構えているのが、この「しょうづかばあ」。
 三途の川は、流れが強く深い順に3つの渡り場所が決められていて「
強深瀬、山水の瀬、橋渡」の3つがあるので「三途の川」。生前の善悪の程度で、重い人が「強深瀬」の流れが強く、深くて渡りづらいところを通らなければならない。(深いほど死装束が重くて渡りにくくなる。ポイント)

 向こう岸に待ちかまえているしょうづかばぁが渡し賃(六文銭)を持たないものの着物をはぎ取り、 懸衣翁(けんえおう)がそれを川の畔にある大樹(衣領樹=えりょうじゅ)に架ける。その者の生前の悪行により枝のたれ方が異なることにより判断される(善人ほど、垂れると言う説もある)

*懸衣翁(けんえおう)・・三途の川のほとりにある衣領樹(えりょうじゅ)という木の上、または川辺にいる奪衣婆の隣にいるといわれる老人(鬼?)である。
 奪衣婆と共に十王の配下で、奪衣婆が亡者から剥ぎ取った衣類を衣領樹の枝にかけ、その枝の垂れ具合で亡者の生前の罪の重さを計る。亡者が服を着ていない
時は、衣服の代わりに亡者の生皮を剥ぎ取るという

 ある説には、しょうづかばぁと懸衣翁(けんえおう)の夫婦説もある。一方で、しょうづかばばぁは、閻魔のファーストレディ説や妾説もある。

恐いおばあさんか?やさしいおばあさん?ー単に恐いだけか?ー

 亡者の衣類を剥ぎ取るというから、「恐いおばあさん」的な存在で、衣類だけでなく盗みを働いたものは手の指を折られるという説もある。中には、「三途の川を渡る時、助勢をしてくれる」(目黒不動尊「龍泉寺」)や子どもを病気から守る、咳をとめてくれるというやさしいおばあさんというものもある。

 庶民の信仰対象になったのだから、単にこわいだけではないと推測もできます。(のちほど)

しょうづかのばば(2)

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