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小木街道

昔は、主要道が椿尾を通っていた

 「歴史の道調査報告書第12集」平成10年3月新潟県教育委員会」によると、主要道である現在の国道と同じ役割の昔の小木街道は、椿尾の中を通っていた。

 「鉄砲鼻の地点で国道とぶつかった旧道は、国道を横切って段丘下の西三川河口に下りる。浜辺の字横浜の住宅地の間を通り、川を渡り(以前は木橋があったらしい)、対岸の高崎に至る。・・・・(現在の)国道は、海岸を通過するが、旧道は高崎の中央付近へ流れ出る高崎川沿いに東に折れ、「源太郎橋」の木橋を渡り、椿尾の段丘上に上がる。」( 同 )注意:(  )内は、注釈。

 

 「椿尾の段丘上南端に「茶屋」という屋号の家がある。小木道中の休み場であった。茶屋の西側には海辺に向かって中世城跡である椿尾城跡がある。この付近から、旧道は段丘下の海辺(弁天の湊)近くに下り、やがて小泊の旧道に繋がる事になる。」( 同 )

 左図は、これに基づいたイメージ図。赤(太)が旧街道で、黄が現在の国道。バツ印以降の小木方面は、主要道でなかった。(たぶん、バツ印あたりは急傾斜の山肌が海まで伸びていたので、通れず山を通ったのではなかろうか。)

 小木街道というなら、ーー「歴史の道調査報告書第12集」平成10年3月新潟県教育委員会」では、太赤線が主要道との結果ですが、地元の詳しそうな人によると、「『小木街道』というなら、それは間違いだ。西三川を渡ったのは近年で、もとは椿尾源太郎橋を渡って高崎の山へ上がり西三川の中流付近に下り、そこから山を越えて鉄砲鼻の方に出たはず」と太青線が小木街道ルート。

 「潮掛鼻は近年になり、通れるようになったもので、手前の山越えで現高崎中心部に歩いたもの。海岸に戸数が増えたのは潮掛鼻が開通してから移住したもの」だとか?

 地形を考えると、古くは太青線で、その後赤線ルートというのが本当のような気がしますが、果たしてどれが本物なのだろうか?

黄色線=現在の国道
赤色線=「歴史の道調査報告書第12集」平成10年3月新潟県教育委員会」
青色線+源太郎橋からの赤色線=これが本当?

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